【m】モノを捨てると「お金がある」と思えるようになる

単純にモノを持たなけれな金持ちになるという話ではなくいろんな条件や素質が必要だが、その要因の一つに、やっぱり物が少ないというのも影響すると思った。


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モノの数=思考の数

仮に家に1000個のモノがあるなら、その1000個の管理について思いを馳せるだろう。しかし、100個のモノがあれば、それらの管理について考えるのは10分の1で済む。

「人生のジャンル」を絞り込む

人生のジャンルを、例えば仕事、お金、学習、家族、美容健康、人間関係、精神性、住環境の8つに分けたとしよう。

仕事を大切にしている人なら仕事関連のモノが、学習を大切にして言えるなら教材が、美容を大切にしているならダイエットグッズが、住環境を大切にしているならインテリアグッズが…というように、いろんなものが室内に混在していることだろう。

モノを捨てていくうちに、さして大切にしていないものなら簡単に捨てられるし、大切にしているモノはなかなか捨てられない、ということはわかった。

今の私なら、

  • 美容ファッションに関する興味があまりない→服やコスメは減らせた。
  • 娯楽に対してあまり興味がない→ゲームや漫画の所有数はゼロ
  • 住環境に興味がない→インテリア雑貨もゼロ(瞑想に使うキャンドルホルダーくらいか?)

モノの認識は相対的な数?

さて、本題。

家の中に1000個のモノがあり、そのうち10冊の本があるとする。

すると、本の存在感が10/1000=1%

仮にモノが100個に減って、本が10冊あったら、本の存在感は10/100=10%。

モノが溢れていれば思考が分散されて特定のモノに向かう意識も分散されるが、モノが少なくなれば意識を向ける対象が自然と集中してくる。

意識を向ける回数が増える=存在感が増える=「ある」ように思えてくる

ということだろうか?

モノを持たないといっても、いきなりお金を捨て始める人は少ないはずだ。

それくらい、お金は大切な存在なのだ。

モノを捨てて、2015年の12月の大捨てとしては趣味とそれに伴う人間関係も捨てた。

それでもまだまだ捨てられれないモノは、仕事、学習意欲、お金、家族、健康といったところだ。 

「ある」に目を向けるのか、「ない」に目を向けるのか?

財布の中に1円が入っている。

この財布には、お金が「ない」だろうか?

それとも「ある」だろうか?

たとえ1円でも財布の中にお金があれば、私は使い切れないほどのお金を持っているという考え方もできる。

かつて、ついついお金がないと言いがちだった時もあったけど、その度に

「いやいや、○○をするお金がないだけで、ちゃんとお金を持っているぞ!」「今はお金がなくても、これから必ずお金が入ってくるぞ!」

などと思考を変える努力をして、「お金は確かにある」のだと思うように訓練してきた。

しかし、最初に述べたように、いろんなモノが溢れて、思考が溢れいている中で、お金の存在感というのは相対的に小さくなる。

最近はなんだか「私にはお金がある」という感覚になってきた大きなキッカケとしてゴールドを買ってみたこともあるけど、そこに意識を向けるようになったのは、モノを捨てて、「私が持っているものといったら…」とフォーカスする基礎があったおかげだと思う。

モノを持たないからこそ、『いま目の前にあるお金』に意識をむけるのがとっっても簡単だし、捨てられないこのコたちは自分にとって『とても大切な存在』なのだという認識が際立ってきた。

じつは、この感覚がお金の引き寄せ的に大切らしいよ|ω・)ボソッ

モノを捨てるという行動の結果、思考が徐々に変わってくるのを体感しているので、「ああ、なるほど、だからお金持ちってモノを持たないのね」と腑に落ちたのであった。

では、ここまでお読みいただき、ありがとうございます。